スポーツ指導と体罰

スポーツ指導と体罰

今第一線で活躍しているプロスポーツ選手のほとんどが、学校の部活動通してそのプレースタイルの基礎を叩きこまれた事は周知の事実だろう。だがその部活動で今課題となっているのが大人たちの指導方法に関する問題だ。

 

特に体罰については、指導される子ども達だけでなくその子達の保護者、または指導者側も双方気をつけなければならない問題として常に議論されてきた。

 

指導という行為は、基本的には指導される側よりも常に上の立場にいなければ成立させる事は難しい。体罰はその立場関係を再認識させ、またある種の権力誇示や見せしめという面で効果的であると考えられ現在まで使われてきた方法の一つだ。

 

しかし今は、指導者側に指導目的だけでない個人的な日々のストレスや鬱憤を晴らす目的で体罰を行うケースが増えているように思えて仕方がない。ある種無機質でなければいけない指導という行為に、無関係な感情が入ってしまったがために体罰がただの暴力と化してしまっているのではないだろうか。

 

本来、今問題とするべき行為はこの「暴力」であって「体罰」についてではないはずだ。指導者側に手を挙げずとも言って聞かせるスキルがあれば指導現場に双方の誤解を生む体罰は絶対に起こらない。

 

また指導される側に暴力ではなく体罰だとしっかり認識させる、つまり自分の行った行為は良くないと自覚させる事も指導として必要になってくる。こうした指導者としての技術不足がこの体罰に関する問題をこれまで以上に大きくしている要因でもあるのだろう。

 

しかしこの線引きの部分が非常に難しく、最終的には指導される側の感情によって左右されるケースがほとんどである。また、保護者側が少し神経質になりすぎているという面も考えなくてはならない。

 

我が子の事を大切に思うばかりに甘やかし、本来家庭で教育しなければならない部分を指導者側に任せっきりにし、それなのにも関わらず運動の指導方法やレギュラーメンバーの起用について口を挟む親が非常に増えている。

 

指導される生徒だけに留まらず、指導者側も指導される側の保護者も、一昔前に比べて未熟な面が多いように感じられる。もしかしたらお互いの精神的成長というものが体罰を筆頭に今考えられている指導や教育に関する問題の根源的解決に繋がってくるのではないだろうか。